今年(2020年)2月、ツイッターであるつぶやきが話題になりました、
「高齢者が自宅で一人で亡くなるのを孤独死という言い方をするのをやめよう」「人の人生の終わり方を勝手に孤独と呼ぶのは失礼ではないか」。
孤独死とは、主に一人暮らしの人が誰にも看取られることなく、当人の住居内などで生活中の突発的な疾病などによって死亡することをいいます。
特に、重篤化しても助けを呼べずに死亡している状況を表すことが多いようです。
「孤独死」は、本当に孤独なのでしょうか。
今回は、「孤独死」について考えてみましょう。
「孤独死」と社会の変化
浸透している「孤独死」という言葉ですが、実は「孤独死」とは何かというハッキリした定義はありません。
実際、公的な機関では「孤独死」ではなく「孤立死」という言葉を使っています。
「孤独死」という言葉が初めて使われたのは、1970年代、一人暮らしの老人が亡くなり、だいぶ経って久し振りに訪ねてきた親族に発見されたという事件の報道といわれています。
核家族化が進み、日本の社会のあり方が大きく変化し始めた時期のことです。
以前は、二世代、三世代が同居する大家族が当たり前でした。
また、地域のコミュニティも活発で、近隣とのお付き合いはあるのが当たり前でした。
そのために、人が亡くなって、何日も誰にも気づかれないなどという状況はほとんど考えられなかったのです。
実は、独居老人が亡くなり、何日も気づかれないという事件は、明治時代から起きているようです。
しかし、この1970年代に起きた事件は、日本の社会が以前とは全く変わってきている「時代」を象徴する事件であり、社会的にも衝撃的な事件だったのです。
さらに、1980年代ごろから、同様の事例がたびたび発生するように。
メディアは「孤独死」という言葉を繰り返し使ってセンセーショナルに報道しました。
当初は、都会には人がたくさんいるのにもかかわらず、誰にも気づかれず死んでいるという状況が注目されました。
つまり「都会の中の孤独」というような、逆説的な現象として取り上げられていたのです。
この当時は、都市部にはたくさん人がいるため、孤独を感じる人はいないと考えられていました。
つまり、前時代的な人づき合いが社会にまだ残っていたため、都市部で人の交流が疎遠になりがちであることが一般的に理解されていなかったのです。
しかし、このような事件が増えるにつれ、「病気で周囲に助けも呼べず亡くなった」というように、亡くなった当時の状況がわかってきました。
そして、次第にこのような事態の発生防止を訴えるような報道に変化していきました。
現在では、孤独死が身近にも発生しうるということが理解されるようになってきています。
医師から見た「孤独死」
人が病院以外で亡くなった場合、「変死」扱いとなり、遺体発見以降の周辺調査や、医師による「検死」や「司法解剖」などによって死因を特定しなければなりません。
そういった経験を持つ医師の目から見ると、本来ならばもっと生きられたはずの人が亡くなっているということが、孤独死における大きな問題だといいます。
つまり、生命の危機に陥ったそのとき、誰かがそばにいて救急車を呼んだり、本人が周囲に助けを求めたりしていれば、助かっていたと考えられるケースが多いそうなのです。
孤独死の死因で多いのは、心疾患か脳疾患です。
つまり、心筋梗塞や脳卒中の発作で倒れ、そのまま亡くなるというパターンです。
どちらも緊急で治療をする必要がありますが、一命を取り留める場合も少なくありません。
もし、他人の手を借りることができていれば、助かった可能性が高いのです。
内閣府の「令和元年版高齢社会白書」によると、65歳以上の一人暮らし高齢者の人数は、1980年には約88万人でしたが、2015年には約592万人と7倍弱にも増えています。
そして、この数は今後ますます増え、2040年には約896万人にまで増えると予想されています。
この人たちは、どのような「死」を迎えていくのでしょうか。
孤独死は、本当に「孤独」なのか?
2020年2月11日、元プロ野球選手・コーチ・監督で野球解説者・野球評論家の野村克也さん(84歳)が、一人暮らしの自宅で虚血性心不全で亡くなったのは、まだ記憶に新しいところではないでしょうか。
野村さんは、自宅の浴槽の中でぐったりしているところを家政婦に発見され、病院に搬送されましたが、残念ながら間に合わなかったようです。
同じく2020年1月29日、やはり一人暮らしをしていた歌手の梓みちよさん(76歳)が亡くなりました。
都内の自宅を訪ねたマネージャーが、梓さんがベッドで倒れているのを発見しています。
俳優の宍戸錠さん(86歳)も、2020年1月18日、自宅で倒れているところを親族が発見しています。
救急車が呼ばれましたが、救急隊が駆け付けたときにはすでに亡くなっていたそうです。
この3人は、いずれも一人暮らしでした。
また、亡くなったときには一人でいたようです。
ということは、いわゆる「孤独死」に分けられるのかもしれません。
「孤独死」には、社会的に孤立した身寄りのない不幸な独居老人が、誰からも看取られずに亡くなり、何日も気づいてもらえない、そんなイメージがありますよね。特に最近では、長いと1ヶ月以上も気づかれないケースもあるといいます。
ということは、亡くなってそれほど時間をおかず発見されたこの3人は、孤独死とはいえないのかもしれません。
高齢者の一人暮らしは寂しいのかと言うと、一概にそうとは言えません。
望んで一人暮らしをする人も、一人暮らしに満足している人も多いからです。
内閣府の「平成26年度 一人暮らし高齢者に関する意識調査」によると、一人暮らしをしている高齢者のうち、78.7%が「現在の自分の生活に満足している」、さらに76.3%が「今のまま一人暮らしでよい」と答えています。
「一人暮らしの高齢者」というと、気の毒、寂しいなどのイメージがありますが、実際には元気に生活を楽しむ高齢者が多いのです。
日本人の平均寿命が延びる中、子供が同居を申し入れても「子供の世話にはなりたくない」と一人暮らしを選ぶ人もいます。
また、一人暮らしの気ままさを楽しんだり、趣味に没頭する生活を楽しむ人もたくさんいます。
アンケートに答えたのは女性が多かったそうですが、特に女性は、これまで家族の世話をしてきた人生で、やっと自分一人のことだけを考えられる時間が来たという人も多いのでしょう。
また、女性の方が寿命も長く、人生を楽しむ時間も長いからかもしれませんね。
先に挙げた有名人の場合、一人暮らしであっても、現役で仕事をしている人ばかりなので、完全に孤独ということはありませんでした。
野村克也さんは、亡くなる直前までイベントに出演したり、雑誌などで連載を持ったり、テレビで野球解説をしたりしていました。
梓みちよさんも、通販番組や歌番組に出演していましたし、宍戸錠さんは映画界からは遠ざかっていたものの、地元のコミュニティに溶け込み、近所付き合いを楽しんでいたそうです。
このように、人生を楽しんでいた人の死は、いわゆる「孤独死」のイメージとはかけ離れているのではないでしょうか。
「孤独死」という言葉の持つ問題とは
昔は、自宅などで人が死んでいるのが見つかった場合「変死」という言い方が一般的でした。
しかし、「孤独死」という言葉は、曖昧なイメージの「変死」より、社会の変化を実感させ、センセーショナルなイメージもあるため、人々に強く印象づけられたのでしょう。
この言葉が、社会に警鐘を鳴らし続けて来たという面はあります。
しかし同時に、亡くなった人の遺族の感情を傷つけるという一面もあることを忘れてはならないでしょう。
「親を孤独にさせてしまった」「もっと連絡を取っていれば、こうはならなかったかもしれない」。
たとえ、故人が自分で一人暮らしを選んだのだとしても、
孤独死という言葉のせいで、遺族が必要以上に自責の念に苛まれてしまうのです。
このようなことから、「孤独死」という言葉は、本来、軽々しく使ってはいけない言葉なのかもしれません。
実際には、悲惨なイメージから遠い死も多いということを、心に留めておくとよいのではないでしょうか。
まとめ
いわゆる孤独死で大きな問題となるのは、孤独死の現場となった住居の処理についてでしょう。
亡くなってから発見されるまでに時間がかかればかかるほど、遺体の損傷は激しくなり、部屋も傷んでいきます。
また、害虫などの大量発生や腐敗臭で、近隣に迷惑をかけることも多いのです。
このような場合は、一般的なハウスクリーニングでは対処が困難となり、特殊清掃が必要となります。
もし、このような事態が起きてしまったら、遺品整理業者に相談しましょう。
部屋のクリーニングから遺品整理、場合によっては建物のリフォームや解体まで任せることができます。