2018年7月、第40回講談社ノンフィクション賞を受賞した、宮下洋一さんの『安楽死を遂げるまで』は、社会に大きな衝撃を与えました。
著者は、安楽死が認められているスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、アメリカの一部の州、カナダをめぐり、医師や患者、その家族の話に耳を傾け、ときに「安楽死の瞬間」にまで立ち会いました。
外国の話ばかりではありません。
著者は、スイスの自殺幇助団体に登録する日本人や「安楽死事件」で罪に問われた日本人医師も訪ねています。
65歳以上の人口が3500万人に迫る日本。「生き方」ならぬ「逝き方」を巡る議論が急速に高まりつつあります。
果たして「死」とは、運命なのでしょうか、それとも選べるものなのでしょうか?
そこで、なかなか表には出てこない「安楽死」「尊厳死」について見ていきましょう。
目次
「安楽死」とは?
安楽死とは、終末期の患者が、治療が見込めない状況となった時に、医師が薬を利用して、苦痛を与えずに直接命を絶つことをいいます。
死を待つのではなく、まだ生きている患者の命を絶つため、現在の日本では殺人とみなされ、禁止されています。
安楽死は、大きく2つに分けられます。
積極的安楽死
積極的安楽死とは、耐えがたい苦痛に苛まれている患者や、助かる見込みのない終末期の患者が、医師の助けを得て、自らの意思で死を選ぶことです。
具体的には、患者が自ら致死性の薬物を服用して死に至る行為や、他人(一般的に医師)が患者の延命治療を止めることを指します。
消極的安楽死
できるだけ自然に近い死を迎えるために、延命治療や薬の投与を行わない状態をいいます。
たとえば、延命治療で投与している点滴や薬を中止したり、生命維持装置を外すことなどが、これに当たります。
無理に延命せず、自然に寿命が尽きるのを待つ状態です。
安楽死と法律
日本における安楽死
日本の法律において、自殺は罪ではありません。
しかし、自殺したい人に協力して死に至らしめる行為は、刑法第202条において罪となります。
安楽死は、刑法第202条で嘱託(同意)殺人罪にあたり、6ヶ月以上7年以下の懲役または禁錮という刑罰が与えられます。
しかし、1993年に起きた東海大学安楽死事件(入院していた末期ガン患者に塩化カリウムを投与して死に至らしめたとして、担当であった大学助手が殺人罪に問われた)の判決では、安楽死が認められる4つの条件が提示されました。
- 患者に耐えがたい激しい肉体的苦痛があること
- 患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
- 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしたのち、ほかに代替手段がないこと
- 患者自身が安楽死を望み、その意思表示があること
この4つの条件を満たせば、安楽死が認められる(違法ではない)とされていますが、実際に安楽死が認められた例はまだありません。
海外における安楽死
海外では、安楽死が法律で認められているところがいくつかあります。
スイスでは、古く1942年から安楽死が法律で認められています。
このほか、オランダ、オーストラリア、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、韓国、アメリカのオレゴン州、ワシントン州、モンタナ州、バーモント州、ニューメキシコ州、カリフォルニア州で他人による積極的安楽死が認められています。
オランダでの例を見てみましょう。
オランダでは、2002年に安楽死が法制化されており、意図的に死を招く積極的安楽死を「安楽死」と規定しています。
これに対し、治療の中止や差し控えなど消極的安楽死は、通常の医療行為とされています。
オーストラリアでは、家庭医(かかりつけ医)の仕組みが発達しており、ほとんどの人に、付き合いの長い気心の知れた家庭医がいます。
「安楽死したい」という希望がある場合、まず家庭医に告げます。
安楽死が認められるために必須となる条件は、
- 患者本人による完全に自発的な要求であること
- 患者に耐えがたい苦痛があると同時に改善の見通しがなく、安楽死以外に解決策がないこと
- 担当医以外の医師が本人を診察し、安楽死の是非についてのセカンド・オピニオンを得ること
などです。
オランダでは「終末期医療クリニック」と呼ばれる医師たちのネットワークが存在し、安楽死の是非の判断や実際の措置を行っています。
「尊厳死」とは?
「尊厳死」とは、現在の医療では回復が見込めない状況となった時、人工呼吸器や点滴などの生命維持装置を外し、延命措置を中止して、自然な死を迎えさせることをいいます。
現代日本の医療技術の進歩は目覚ましく、延命治療によって、多くの人が生かされています。
植物状態となって意識がなくても、肉体的に生命を維持できる状態であれば、延命治療によって生きながらえることは可能です。
ただ、それを良しとするかどうかは、人それぞれでしょう。
いったん延命治療を行うと、最期まで解除できないケースも多いのが現状です。
メディアでも取り上げられた、スイスで安楽死を遂げた日本人女性は、こう言っています。
「私のような状態になった人間にあなたはどんな言葉をかけますか?『頑張って生きて』とも『死んでくれ』とも言えないでしょう。かける言葉がないと思うんです」
「死にたくても死ねない私にとって、安楽死は“お守り”のようなものです。安楽死は、私に残された最後の希望の光です」
最期を考えたとき、「たくさんの管につながれてまで生きるのは嫌だ」「人間らしく死を迎えたい」という考え方から、尊厳死を選択する人が増えています。
尊厳死は、「自己決定により受け入れた自然死」と言えるでしょう。
ただし、本人の生前の意思が必要です。
意識がなくなってからでは本人の意思を確認することができないため、エンディングノートや遺言書などを利用し、元気なうちに尊厳死選択の意思を表明しておくことが必要です。
タレントの秋野暢子さんは、還暦を迎えると同時に日本尊厳死協会に入会し、延命措置を希望しないと表明しています。
「尊厳死」と法律
日本では、尊厳死に関する法律はまだありません。
ですが、終末期において延命措置中止を選ぶ権利は、憲法が保障する基本的人権の1つである「幸福追求権」に含まれると考えられています。
一般財団法人「日本尊厳死協会」は、事実上の消極的安楽死を「尊厳死」と定義し、法制化を求めています。
2012年には、超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」が具体的な法案を公表しています。
また、厚生労働省は、2007年、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を発表しました。
これによると、患者の意思確認ができる場合は患者が意思決定を行いますが、意思確認ができない場合は、家族が患者の意思を推定し、それを尊重した治療方針を行うことなどが示されています。
しかし、延命治療を中止した場合、ガイドラインに沿っていたとしても、医師が法的責任を問われる可能性はゼロとは言えません。
また、倫理的に反対する団体も多いのが現状です。
日本で尊厳死が法制化されるには、まだまだ時間がかかるとみられています。
安楽死と尊厳死の違いは?
安楽死と尊厳死は、どこが違うのでしょうか?
「安楽死」という言葉のもとになったのは、ギリシャ語の「エウタナーシャ」(幸福な死)です。
安楽死の一番の目的は、「患者を苦痛から解放すること」です。
つまり、意識のある患者の苦痛を取り除いた結果、死をもたらすということです。
これに対し、尊厳死は、「人間としての尊厳を保って死に臨むこと」です。
尊厳死の場合は、肉体的には延命の可能性があるけれども、植物状態など意識がない患者に対して行われます。
しかし、患者を殺害することになるので、最低条件として、「延命を拒否します」という本人の生前の意思が必要です。
安楽死と尊厳死の共通点は?
安楽死と尊厳死には、共通点もあります。
回復の見込みがない末期患者にのみ適用できる
尊厳死も安楽死も、治療において回復の兆しが見られず、死の進行を止められない状態の患者にのみ適用できます。
患者本人の同意が必須
末期患者が痛みなどで苦しむ姿は、本人のみならず、見守る家族や周囲の人にとってもつらいものです。
しかし、いくら周りが楽にしてあげたいと思っても、患者本人が望んでいなければ、安楽死や尊厳死は実行できません。
逆に、患者本人が安楽死や尊厳死を自分の意志で希望すれば、周りが反対しても実行可能です。
まとめ
安らかに死を迎えることは、誰もが望むところでしょう。
しかし、医療技術の飛躍的な進歩は、多くの命を救う半面、過剰な医療や延命措置によって安らかな死を妨げる可能性もあります。
近年、終末期医療におけるQOL(人生の質:Quality of Life)が叫ばれていますが、その先に必ず来る「死」にも、QOD(死の質:Quality of death)があるはずです。
スイスで安楽死を遂げた女性の「私が私であるうちに安楽死を望みます」という言葉は、決して軽いものではありません。
超高齢化社会を迎える日本。安楽死や尊厳死について、今後、ますます議論を深めていく必要があるでしょう。