「感謝離」「代謝離」という言葉をご存じでしょうか。
大切な物を処分するときには、ありがとうの気持ちを込めて「感謝離」。
愛着のあるものを買い替える時には、新陳代謝なんだなという気持ちで「代謝離」という言葉があるのです。
どちらも断捨離をもじった言葉ですが、昨年、新聞への読者投稿がきっかけで話題になりました。
今回は、「感謝離」「代謝離」について考えていきましょう。
新聞の読者投稿
2019年5月、朝日新聞の読者投稿欄の掲載された文章が話題になりました。
投稿したのは、神奈川県在住の、89歳になる男性でした。
結婚生活62年を数えた奥さまが亡くなってしまいました。
「感謝離」「代謝離」は、男性が、奥さまが遺した衣服を整理している時に思い浮かんだ言葉だそうです。
男性は、奥さまの衣類を片付けながら、「断捨離」という言葉に思いを馳せます。
「断捨離という言葉が出てきてから、ずいぶん経つけれど、衰えないなあ。
きっと、なんだかんだ言いながら、そんなに簡単に捨てることができないからだろう」
故人が遺していったものの整理は必要なことではありますが、故人がそれを身につけていた姿を思い出し、つい寂しくなってしまうものです。
男性は、寂しさを吹っ切らなくてはならないと思いながら整理しているうちに、衣類に対して「妻を守ってくれて、飾ってくれてありがとう」という気持ちが湧いてきたそうです。
そして、浮かんだのが「感謝離」という言葉でした。
ただ単に、これはいらないと切ってしまうのではなく、感謝しながら整理をするのが「感謝離」です。
ちょっといい思いつきだなと、男性は整理を続けて行きました。
すると、古びて襟が擦り切れたパジャマがあったそうです。
気に入って着ていたから、こんなになったのだろう。
これを着ている姿も、見慣れていたものだ。
思い出の詰まった衣類を見ながら切ない気持ちで仕分けを続ける男性。自分も天国に行ったら、一緒に新しいのを買いに行こうな。
新陳代謝だ。そうか、これは「代謝離」だ。
妻は、62年のパートナー「だった」んじゃない。これからも、ずっと夫婦であることに変わりはない。
またいずれ、会える日がくる。
その時は、まずショッピングに出かけよう。
そう気づいた男性は、すっかり気持ちが晴れたそうです。
この投稿は大きな反響を呼び、『感謝離 ずっと一緒に』という書籍にもなりました。
本には、男性の生い立ちから奥さまとの出会い、2人で過ごした日々が綴られています。
そして、奥さまが倒れたあとも、できる限り心豊かに暮らそうと、奥さまの喜ぶ姿を支えに奮闘する姿や、残念ながら奥さまが先に旅立ってしまった状況なども温かく書かれています。
夫妻の絆や、「感謝離」という言葉によって悲しみを乗り越え、再び歩みだして行こうとする男性の姿に、多くの人が感動しています。
「感謝離」とは・・・
家に溢れるモノを整理し、風通しの良い生活を送るために行うのが「断捨離」だとすれば、「感謝離」とは、何のために行うのでしょうか。
長く連れ添ったパートナー、自分を育ててくれた親など、大切な家族を亡くしたあと、その人が遺していったモノを手放してしまうことが、なかなかできない人は多いでしょう。
モノを処分してしまうと、その人が生活していた痕跡が消えてしまうような気がしたり、その人の思い出まで捨ててしまうような気がする・・・大切な家族の気配の残るモノを手放すことに、抵抗感を感じるのは自然なことです。
特に日本人には、伝統的に「モノには魂が宿る」という考え方があります。
それだけに、持ち主が亡くなったからといって、その人の心が宿っている持ち物を簡単に捨てようという気持ちになれないのも不思議ではありません。
亡くなった家族の部屋を、何一つ捨てず丸ごとそのまま残しているという人の話を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
ですが、いくら懐かしくても、捨てなくてはならないものもあります。
投稿者の男性は、亡き奥さまの衣類を片付けながらふと頭に浮かんだ「感謝離」という言葉に、何か救いのようなものを見出したのではないでしょうか。
感謝することによって、思い出の品との別れを、悲しさではなくポジティブに昇華していくことが出来たわけです。
片付けや断捨離など、溜まったモノを整理・処分するのは、大変な作業です。
要・不要を決めていくだけでいっぱいいっぱいで、手にしているモノに対して、このような心境には、なかなかなれないかもしれません。
ですが、これから断捨離や生前整理を考えている人は、「ありがとう」という気持ちをもって、片付けに取り組んでみてはいかがでしょうか。
「代謝離」とは・・・
終活、断捨離という言葉が社会に浸透して久しくなります。
自分もやってみよう、と、身の回りの片付けを始めた人も多いようです。
不要なものを片付けてシンプルな生活を送ること、必要なもの、好きなものだけに囲まれて、清潔で健康的な生活を送ることは、とても良いことであり、何も否定されるものではありません。
それなのに、「終活に疲れた」という人もいるようです。
終活でよくあるのは、モノを捨てることに罪悪感を感じてしまうということ。
気に入って買ったはずなのに、ろくに使わないうちに不要になってしまった、せっかくいただいたものなのに、すっかり存在を忘れていた・・・そんなとき、モノに対して「申し訳ない」という気持ちが湧いてくるのです。
また、まだ使えるものなのに捨てるのはもったいない、そういう気持ちが終活を滞らせます。
ですが、少し視点を変えてみましょう。
投稿者の男性のように、モノを捨てることは新陳代謝だと考えてみてはいかがでしょうか。
ありがとうと感謝を込めて整理し、本当に必要なものだけを残したり、買い替えたりして、遺品と上手にサヨナラすることは、故人を供養することにつながります。
投稿の男性が「天国で妻と一緒に新しい服を買いに行こう」と書いているように、「代謝離」は、残された人の心を前向きにし、救う考え方なのではないでしょうか。
供養につながる「感謝離」「代謝離」
大切な人が使っていたものは、たとえ不要品であってもゴミではありません。
モノには、これまで一緒に過ごしてきた時間や、さまざまな思い出が詰まっています。
モノを捨てることは、時間も思い出も捨ててしまうことだと抵抗を感じるゆえに、処分できずにしまい込んでしまう・・・そんなモノが増えていくうちに、家の中はモノで溢れかえってしまいます。
そこで思い出したいのが「供養」です。
日本にはさまざまなものを供養する習慣があります。たとえば、人形供養、針供養などのように。
これらの行事は、一緒に遊んでくれた人形や、よく働いてくれた針に感謝して天へと返す儀式です。
亡き人の愛用品も、感謝を込めて空へ返しましょう。
片付けで困ったら・・・
実際の片付けの現場では、心の余裕を持つことはなかなか難しいかもしれません。
あまりにもモノが多すぎたり、掃除も同時に行わなくてはならないような環境であれば、なおさらです。
そんな時は、遺品整理業者に相談してみてはいかがでしょうか。
遺品整理業者は、遺品整理のプロです。
何を残し、何を処分していいのか分からないような場合も、遺品整理業者に相談しましょう。
豊富な経験を積んだプロの目でアドバイスしてもらえます。
また、遺品整理業者は、不用品でもまだ使えるものがあれば買い取ってもらうことも可能です。
捨ててしまうのではなく、どこかの誰かがそれを喜んで使ってくれるのであれば嬉しいことですね。
残念ながら処分するしかないモノであっても、遺品整理業者であれば、それらの供養の代行を依頼することもできます。
供養は、定型の寺社へ運んで運搬する方法や、自宅に僧侶を呼んで直接供養してもらう方法があります。
片付け後のゴミは、自分で処分する必要はなく、すべて運搬・処分してもらえます。
このように、さまざまなメリットのある遺品整理業者ですが、最も大きなメリットは、まさにこの「感謝離」の心をもって作業にあたるというところです。
すベてのモノを大切な遺品として扱い、たとえ紙切れ1つであっても粗末にしません。
片付けや遺品整理で困ったら、相談してみましょう。
まとめ
“さようならは別れの言葉ではなく、再び会うまでの遠い約束である”ーーそんな歌詞がありました。
「感謝離」「代謝離」は、過去と向き合い、未来に向けて「今」を整理していく時間です。
そして、会えなくなってしまった大切な人とも、きっとまたいつか会える日が来ます。
モノを整理しながら心を整理し、再会の日まで、元気に前向きに過ごしたいですね。